すべて手探りの状態で悪戦苦闘の日々が続く中、子供たちに随分と励まされた。
次男は「僕は何があってもお母さんの味方よ〜ん」と、おどけて元気づけようとしてくれたし、長男は、「お母さん、お金あるの?大丈夫?僕が早く大きくなって働くから・・・」と長男らしさを発揮した。長女は、「ゆう(長男)、子供たちはそんなお金の事は心配せんでえーの。今、私達、子供に出来ることは、良い子にしてお母さんに心配かけんようにすることや・・・」とミニママぶりを発揮した。
母であるその時の私は、子供たちにわがままを言ってもらえないほど、くちゃくちゃヨレヨレ状態だった。目の前の仕事と研究、そして一家の大黒柱として生活を支えるのに必死だった。
子供たちは、まだまだ甘えたい年頃で、わがままも言いたかっただろうと思う。不安な気持ちも泣きたい気持ちも一杯あっただろう。
あの時、子供たちの協力がなければ、乗り越えてこれなかったと今になってしみじみ思う。
子供たちには本当に感謝している。


日々のクリーニングの作業の傍ら実験を繰り返した。
色々な種類の生地を買ってきて寸法を測り、どの工程で縮むのか、どんな洗い方が一番適しているのかと細かいデーターをとった。
それは、気が遠くなるような作業だった。

ドライクリーニング(以下ドライ)はとても生産性が良い。ドライなら夕方に終わる仕事量でも、水洗いになると夜中までかかる。それぐらい水洗いは手間暇がかかるのだ。
化学物質ゼロの水洗いクリーニングを目指し、手探りの状態で試行錯誤を繰り返し、水と衣類とを相手に格闘する日々が続いた。夜中を過ぎ、「今日はここまで!」と思った瞬間、ヘナヘナと座りこみ足腰が立たない状態になってしまう。
「もう嫌や!なんでこんなことやってるんやろ・・・もうこんなことやめる!」と這いずるようにして作業場を後にする。
次の朝、ベッドからまた這いずるようにして出て、「やっぱり自分の決めたことやからがんばろ!」と思い直して仕事につく。
毎日毎日がそんなことの繰り返しだった。


このままでは衣替えの繁忙期には絶対に間に合わない・・・。
言いようのない不安と、恐怖とも感じる大きな感情の波が押し寄せ、私の心と体を揺さぶり続けるのだった。私はもうすでに、心身共に限界を超えていた。
地を這いずり、のたうちまわるような苦しみ、「血を吐くような思い」とはこうゆうことを言うのだろうか。
「もうあかん!・・・」と何度心の中で叫んだことか・・・。
その度に思い出したのは、「もうあかん!と言う時は、死ぬ時や!」という小学生の時の担任の言葉だった。
先生の言葉を思い出し「まだ死なれへん!」と、私は歯を喰いしばった。恩師の言葉が両脇から抱えるように、私を支えてくれた。


そして、3人の子供たちと言えば、夜遅くまで仕事をしている母を励まそうと一生懸命だった。
次男はお水を汲んできて「お母さん、僕に出来ることがあったら何でも言うてよ」と言ってくれた。
長男は、ズボンのプレス機を指さして「お母さん、これ使い方教えて!」と言って、実労働で助けようとしてくれた。
しかし、小さくてまだまだズボンプレスには背が足りなかったのだが、小さくてもやはり長男だなあと嬉しくまた、頼もしく思った。 長女は、仕事をしている私の側に来て、楽しいお話をいっぱい聞かせてくれて、精神的に助けようとしてくれたのだった。
次男の大きなコップをもった小さな二つの手、大きなプレス機を見上げる長男の可愛い真剣なまなざし、長女の屈託のない幼い笑顔・・・。それらに私はどれほど救われたか知れない。
3人それぞれ方法は違えども一生懸命に励ましてくれた。色んな事を乗り越え、今、があるのも子供たちの存在があったからだと思う。
子供たちが支え励ましてくれたからこそだと、言葉では言い尽くせないほどとても感謝している。